中等部案内


国際交流


年2回、希望者が英国にて研修します。春休みは、ホームステイをしながら現地の学校の授業に参加し、日本とは違う生活様式や 学校の様子を体験します。夏休みには、いろいろな野外活動ができる宿泊施設に英国の生徒と一緒に寝泊まりし、様々な活動を通して 交流を深めます。参加者はこの研修で国際的な視野と見識を身につけてきます。秋に、英国ホカリル校生徒を受け入れています。 2005年に中等部生が同校を訪問する春期英国研修が始まり、お互いホスト校として交流を深めています。ホカリル校からは10〜 20名程度の生徒が毎年来校して、期間中は中等部生宅でホームステイを体験し、パートナーのクラスの授業に参加します。


夏期英国研修プログラム


対 象

3年生

募集人数

約40名

目的地

英国 New Forest,Hampshire Avon Tyrrell Activity & Residential Centre

期 間

夏休み 8月中旬 8泊9日

内 容

・英国の生徒20名と同部屋に宿泊
・Avon Tyrrellで多彩なアクティビティーを体験
・ハンプシャー、ドーセット州の探訪
2015 夏期英国研修パンフ
2015 夏期英国研修ポスター

ホカリル校生徒受け入れプログラム


対 象

18家庭程度 3年生・・・12家庭 2年生・・・6家庭

期 間

2学期 10月中旬 8泊9日

内 容

・ホカリル校の日本語を学んでいる生徒18名が中等部生宅にホームステイ
・各クラスに数人ずつ加わり、一緒に授業等に参加

春期英国研修プログラム


対 象

2年生

募集人数

18名 Hockerill 4名 Wolverhampton

目的地

英国 ホカリル校(Hockerill Anglo-European College)
ウォルバーハンプトン女子高校(Wolverhampton Girls' High School)

期 間

春休み 3月下旬 8泊9日

内 容

・いずれかの学校の生徒の家庭にてホームステイ
・いずれかの学校の授業への参加
・イングランド各地の歴史的建造物等の見学

その他


バイリンガル夏期講習@慶應義塾ニューヨーク学院(慶應義塾ニューヨーク学院主催)


対 象

日本語を母国語とする中学1年生〜3年生

募集人数

40名 募集についてはニューヨーク学院HPで確認の上、
中等部ガイダンスに参加の上申し込みをお願いします。

目的地

慶應義塾ニューヨーク学院

期 間

夏休み 7月下旬 約2週間



2014夏期英国研修報告


1.はじめに
今年度で1996年度からスタートした中等部の夏期英国研修は18回目を迎えた。 現在の宿泊先であるAvon Tyrrell Outdoor Activity Centre (エイボン ティレル アウトドア アクティビティ センター、以下エイボンティレル)の利用は、 利用初年度の2004年度から数えて今年度で10回目となり(2006年度は英国内の情勢悪化により中止)、 エイボンティレルでの活動を中心とした研修内容も成熟しつつある。特にエイボンティレルで中等部生が 現地校生とともに体験するアクティビティは、中学3年生程度の年齢に対する研修として肉体的にも精神的にも 非常にバランスの取れた内容であると思われる。

2.今年度の夏期英国研修の概要
今年度の研修は2014年8月11日(月曜日)〜8月19日(火曜日)の9日間、参加者は37名(男子30名、女子7名) で行われた。事前に行われた数回の準備会では、国際交流員会・引率の教員を中心としたメンバーで、 イギリスや研修で訪れる史跡、英国でのコミュニケーションなどに関する指導が行われた。 夏期英国研修における「ねらい」は、現地校生との共同生活、協働作業を通しての英語でのコミュニケーション、 そして文化的な交流である。今年度も例年通りホカリル校(Hockerill Anglo-European College)と カウンティ―・アッパー・スクール(Bury St. Edmunds County Upper School)から10名ずつ現地生を招待することができた。 今年度の主な行程は以下の通りである。

8月11日(月) 羽田空港を出発し、ロンドン・ヒースロー空港へ バスにてエイボンティレルに移動
12日(火) 昼食前に現地生到着、自己紹介や自由時間で交流
13日(水) 現地生を含めたグループにわかれ、各種アクティビティに挑戦
14日(木) ストーンヘンジ・ソールズベリーへの遠足
15日(金) アクティビティ2日目
16日(土) コーフ城・スワネージ・ジュラシックコーストへの遠足
17日(日) 現地生との送別会
18日(月) エイボンティレルからバスでウィンザー城へ ヒースロー空港から出発(機内泊)
19日(火) 羽田到着
今年度の生徒たちの様子を日誌から引用する。
Welcome lunchでは、部屋ごとの食事で、来たばかりの英国の生徒と食べました。 最初はあまり会話できなかったけれど、What’s your favorite sport?と話しを切り出したら、 2人ともFootballが好きと答えたので、サッカーの話をして盛り上がることができました、 Welcome lunchの後はみんなでサッカーをしました。サッカーでは英国の生徒があまりにも上手すぎてこまりました。 とにかく、とても仲良くなれたし、話すこともできました。最初の2、3日はぎくしゃくしてしまうと 思っていたけれど、初日から仲良くなれて良かったです。(男子)

現地生との顔合わせは比較的スムーズに行えたという生徒が多かったようである。 特に自己紹介後の自由時間を使って男子はスポーツ(サッカー)、女子はミニゲームなどで 現地生とすごし、打ち解けていったようである。またアクティビティでは英語を使って協力していくことで、 相互理解やコミュニケーションが自然と進んだという感想が多かった。
今日はアクティビティの続きを行った。ローロープスではチームワークが大切だということを言われた。 インストラクターにとても良いチームだと言われてとても嬉しかった。ラフトビルディングでは 皆それぞれ形を考え合って矢印のような形にした。エドワードが気をつかってくれてインストラクターも 含めてかけ声を「イチ、ニー、サン」と皆でかけることを促してくれてとても助かった。(男子)

今日はアクティビティグループで本格的に活動する日だったので、どんな人と同じになるのかと思いましたが、 ジェイコブはとても気さくな人で色々なアイデアを出してくれたり、分からないことを教えてくれたりしました。 (中略)昨日よりもアクティビティの説明などで英語に触れる機会が増え、英国生とのコミュニケーションが 一層重要になってきたので、相手が言っている内容をしっかりと理解して、受け答えができるようにしたいです。 また、夕食後のミーティングでは明日の見学のグループが決められ、そのグループでゲームをしました。 ゲームには1回も勝てませんでしたが、話したことのなかった英国生とも会話することができて良かったです。(男子)
現地生とコミュニケーションを重ねていくことで、自分自身の英語力の向上を感じ、 自信を持つことができた生徒も少なからずいる。また英語以外にもマナーなどで現地生や現地校の教員から学ぶこともあったようだ。
トラストウォーキングでは、ショーンとペアを組んだので日本語が使えず、自分の英語力をふりしぼった。 内容の濃い英会話をできたので手ごたえを感じた。(男子)

アフタヌーンの時、僕はとても貴重な話を聞けました。イギリス人の食事についてです。 日本のごちそうさまは、イギリスでは「Thank you」だったり、他の人が席を立つまでは自分も席をたてないなど、 イギリス人のマナーの良さを教えてもらいました。(男子)

そして多くの生徒が、研修の1週間という短い期間の中でも自分なりの成長を感じることができたと同時に、 自分に足りないものの大きさや歯がゆさというものを強く感じていることが読み取れる。そうした文化や言語の 違う人々と交流した経験が、もっと英語を学びたいとか、また海外に行きたいといった次に進む意欲につながっていることは、 この研修の意義を考えたときに非常に評価できる点である。
もっと会話すればよかったと少し後悔している。思えば食事の時、アクティビティの時いつだって会話できたはずなのに、 しようとしなかった。また、会話しようとしても通じないことがあり、とても歯がゆい思いをしたため、もっと英語を 勉強しようと思った。(女子)

この約1週間を振り返ると、私は積極的にコミュニケーションを取りに行かなかったり、分からない時が多く、 とりあえずうなずいていた時もあったけれど、とても楽しく、少なくとも私にとってはとても良い、貴重な体験だったと思います。 現地生がきた時は何を話してるのか分からないし、何話せばよいのか分からなかったけれど、夜日誌を皆で書いているときや、 アクティビティ、ご飯の時とかに現地生が割と日本語でなんて言うの(書くの)と質問してきたりするのを見て、 私(達)と一緒なのかな。と思うと少し緊張が解けて、少し言ってる事が分かってきたし、言いたい事を単語や 身振り手振りで伝えられるようになって、喜びと共に英語の勉強意欲がわいて来ました。CUSの人達にはもうたぶん 会えないけれど、今年の秋に同じアクティビティグループだったアイオーナや、シャーン、サニーが来るので、 もっと自分から行って、他のホカリルの生徒にも沢山話しに行きたいです。(女子)

英国研修、本当に来てよかったと思っています。初めてこんなに大勢の他国のこと一週間寝食を共にし、特に同年代の子と、 というのがとても刺激になりました。大人っぽく、何度も助けられました。もっともっと英語を話せるようになりたいと思いました。 (中略)たくさん友達ができて刺激をうけて、いろんな事を知ることができ、本当にかけがえのない思い出になりました。 今回の事を生かして今後もっともっと海外で通用する英語を学び、成長した状態で、今回で来た友達に会いに行きたいです!!(女子)
これらはほんの一部ではあるが、研修中の生徒の率直な感想である。国際交流の研修という観点から考えれば、 こうした文化や言語を越えたコミュニケーションの難しさや新たな世界や人々とのつながりを構築していくこと の素晴らしさといった、素直に感じた気持ちをそれぞれの生徒が抱き、今後の自己の成長につなげていこうとする姿勢が 多数みられていることは、非常に意義のある研修であったことを示していると考えてよいだろう。

3.英国研修における遠足
今年度の夏期英国研修ではどのような地を訪れたのかを紹介していきたい。
(1)英国研修の遠足プログラム
今年度の夏期英国研修において遠足で訪れたのは、ストーンヘンジ、ソールズベリー大聖堂、ソールズベリー、 コーフ城、スワネージ、ダードルドア〜ラルワースコーブ(ジュラシック・コースト)、ウィンザー城である。 ここでは英国研修の遠足プログラムがどのような目的をもって、プラン作りが行われているのかをまとめていきたい。 そもそも“遠足”というのは“excursion”を直訳したものであり、実際の研修での意味合いとしては「視察」とか 「(史跡)見学」とでも呼んだ方が正確かもしれないが、ここでは単に「遠足」という言葉を使用したい。
では今年度の夏期英国研修で訪れた名所・名跡はどのような場所であるのか、ここからまとめていきたい。
(T)ストーンヘンジ

ソールズベリーの街から30分ほど車で北に向かうと、のどかな牧場の広がる丘陵地帯に出る。一見何もない牧草地に 見えるその場所に突然巨石が輪を作っている不思議な光景に出くわす。その姿たるや言葉では形容しがたい雰囲気を 持つ遺跡である、ストーンヘンジは、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)によって認められた英国内の28か所に 上る世界遺産うち、最も早く登録された文化遺産の一つである。 ストーンヘンジが築かれ始めたのは約5000年前の新石器時代といわれており、古代人の宗教的なシンボル、神殿として 建てられたと一般的には考えられている。また、近隣には紀元前2000年ごろから築かれ始めたといわれているいくつかの 円形古墳群やウッドヘンジと呼ばれる別なサークル(環状遺跡)があり、黄金でできた美しく装飾された副葬品なども 発掘されており、この地域が古代人たちにとって非常に重要な意味を持っていたことがよくわかる。英国では12世紀ごろに 書かれた『イングランド国民の歴史』の中で、すでにこのストーンヘンジが登場しており、現代に生きる我々と同じように、 「どのように」、そして「誰が」作ったものなのかという疑問を抱いていることが記されているという。 冒頭で神殿という紹介をしたが、この遺跡は何らかの儀式や埋葬、祭典などが行われている場所と推測されており、 はじめはシンプルな円形の堀と土塁で築かれ、その内側には木柱か石柱が環状に建てられていた跡があることが調査で判明している。 作られた当時の堀と土塁の表面の部分は白亜の地層で形成されていたため、遺跡全体が白く輝いていたようである。 この遺跡で最も観光客の注目を浴びている巨大な石柱が建ち始めたのは、紀元前2500年前ごろと推測され、その後何度も 増築と改修を繰り返していることも興味深い事実である。ストーンヘンジはこうした調整によって、土塁・堀、起立する石が 太陽の軌道と季節の変化が分かるように精巧に配置されているのである。 巨大な円形・馬蹄形構造の石柱群を構成する巨石はサーセン石と呼ばれ、重いもので重さ約35tもある非常に硬い砂岩の一種である。この石はストーンヘンジから北に30km以上離れたウィルトシャー北部のマールバラ丘陵から運ばれた後、現在の場所に配置されると現在までそのままの状態で残されていたことが判明している。近年の研究では、木製のそりにサーセン石を載せて約200人で引っ張ると、12日ほどで砕石場からストーンヘンジまで着くことが算出されているというから驚きである。こうして運ばれたサーセン石は「トリリトン(Trilithon)」(三石塔)と呼ばれ、馬蹄形の構造で建てられている。どのようにして建てたのかはなぞであるが、深い穴を掘り、傾斜をつけた台の上で巨石を引っ張ることで起立させることができた、というのが有力な説となっている。また、2つの柱となる石の上に横たわる石には2つの大きな「くぼみ」が作られている。これは柱となる石の上にある「ほぞ」(突起部)と対になっているもので、石の表面にある凹凸を組み合せることで馬蹄形の構造を安定させていたのである。文字にすると簡単な作業のようにみえるが、実際に目にするととてもそのような作業ができるようには思えない。大人数で巨大な石を運んだあとに、こうした精巧な作業が待っていたことは驚きであると同時に見ている者に様々な想像をさせる。 さらにサーセン石の環状列石の内側には、ブルーストーンと呼ばれるサーセン石よりも小さな石が環状に配置されている。これらのブルーストーンは、重さ3t以上するものもあるにもかかわらず、少なくとも80個は、240km以上西に離れた遠くウェールズ地方のプレセリ山脈から運ばれたと鉱物組成の調査で判明している。なぜそんなに遠くにあった石を運んだのかは謎であるが、おそらくウェールズ地方にすでに存在していた環状列石を構成していた石を引き抜き、移設したのではないかと推測されている。ブルーストーンの運搬には、水上輸送が使われたともいわれおり、ウェールズ地方を出発してブリストル海峡を東へ横断し、河口からエイボン川を上り、ストーンヘンジのそばまで運ばれたのではないかと考えられている。実際エイボン川のほとりに石を船から降ろしたと推測できる跡も発掘されている。 この遺跡の研究は何世紀も前から行われてきたことが残されている文献などからわかっているが、実際にその価値が広く世間に認められて「保護」されたのは20世紀に入ってからである。現在ビジターセンターが新たに開館するなど、周辺の整備も進み、観光地として発展していると同時に、さらなる遺跡の保護と調査が進められ、より展示を詳しく見ることができるようになっている。写真では伝わりきらない雄大で不思議な遺跡に足を踏み入れることで、英国の持つ歴史の奥深さを肌で感じられるのではないだろうか。

(U)ソールズベリー大聖堂

イギリスらしい小さい家の並んだ住宅地の中心に進むと、城壁で囲まれた、まるで中世の街がそのまま残っているかのように 感じられるソールズベリーの中心地がある。街の中心に位置するソールズベリー大聖堂は、英国を代表する大聖堂であり、 周囲のどこからも見える大聖堂の塔の高さは123mで英国最高である。この大聖堂が目に入って多くの人が感じることは おそらくその外見の雄大さと装飾の美しさである。この大聖堂の特徴は、他の英国内では見られない建築様式の統一感である。 その他のほとんどの大聖堂は100年以上の歳月をかけてたてられたり、改装工事を行ったりと、様々な建築様式が混ざって しまっているが、ソールズベリー大聖堂は1220年から1258年と比較的短期間で完成したため、イングランド初期ゴシック様式で統一されている。 大聖堂の中に入ると、内部のとても広い空間に驚かされる。ゴシック様式の最大の特徴でもある、アーチ形の天井(ヴォールト(vault))が 教会内の奥まで広がり、大きなステンドクラスからは内部を余すところなく照らすように日光が差し込んできている。 壁や床、墓石などの装飾はどれも芸術的で繊細な作品ばかりであり、そうした荘厳な雰囲気の中に教会の中心である 祭壇が置かれている。また目を引くのは、祭壇のそばに柱と柱の間に組み込まれている形で置かれている巨大なパイプオルガンである。 実際に音を聞くことは難しいようだが、かつてはその音色が教会内、そしてソールズベリーの町に轟いていたことを容易に想像させる。 英国内で最も高い尖塔も、ゴシック様式の建築物の特徴の一つであり、少人数に限られるものの有料のツアーに参加すれば尖塔内を上り、 尖塔上部まで上がることもできる(残念ながら本研修の人数とスケジュールではツアー参加は困難である)。 さらにこの大聖堂にはチャプターハウスと呼ばれる部屋がある。教会の内部から中庭を囲む回廊に出ると、かつて大聖堂を営む 聖職者である参事会会長と参事会の会合が行われた会議室であった、このチャプターハウスに向かうことができる。13世紀中ごろに 作られたこの部屋もゴシック様式で天井にはアーチが広がり、窓にはトレサリーと呼ばれる幾何学模様、あるいは複雑な曲線模様に 飾られた窓枠があり、そうした模様は壁や柱にまで続いている。柱の柱頭には小鳥や動物を織り交ぜた葉状模様が掘り込まれており、 細かい彫刻が施されている。中でも壁のアーチ間の空間(スパンドレル(spandrel))には、『旧約聖書』の最初の二篇である 「創世記」と「出エジプト記」の様子を刻んだ彫刻が並んでいることがこの部屋の彫刻の最大の特徴である。「創世記」では、 「光を創造する神」に始まり、「アダムとイブが木の実を食べる」シーンや「ノアの方舟」、「バベルの塔の建築」などの場面が描かれ、 55番目の「抱き合うヤコブとヨゼフ」まで続いている。また「出エジプト記」では、モーゼにより「海が左右に分かれる」シーンや 「神がモーゼに十戒を与える」シーンなど5つの場面が描かれている。 そしてもう一つ、このチャプターハウスには大きな目玉がある。「マグナカルタ(Magna Carta)」(ラテン語)と呼ばれる一編の書物である。 なお英国内では一般的に“the Great Charter”(大憲章)とも呼ばれている。このマグナカルタは、簡単にいえば1215年に作られた 英国の王と貴族の合意書である。この書物は「英国憲法のバイブル」ともいわれ、13世紀にいくつかの改訂を行い、英国の国民と 王の関係性を規定した現在でも有効な法である。ところで英国は日本の成文法とは違い、不文法を採用しているため日本のように憲法が 一つの法典としてまとめられているわけではないため、英国内のルールの原則を規定する、日本でいえば憲法の条文の一部であると 理解するとよいだろう。このマグナカルタが重要であるのは、一つは王も法の支配に従うべきであるという原則を認めさせたこと、 そして二つ目は貴族に対して王が相談なしに課税をしないことや逮捕・投獄ができないことを約束させ、貴族という限られた 範囲ではあるが国民の自由を認めさせたことで、人権思想の原点ともいわれているからである。人権思想については、本校の 社会科のカリキュラムでは必ず第3学年次に履修する項目となっており、マグナカルタについては夏期英国研修の直前の一学期の授業で 扱うことが多い。また文部科学省の『学習指導要領』でも、以下のように「公民的分野」の「目標」の第一に掲げられ、 「内容」の政治に関する分野の冒頭でも人権と法の意義の理解について書かれている。
1 目標
(1)  個人の尊厳と人権の尊重の意義,特に自由・権利と責任・義務の関係を広い視野から正しく認識させ,民主主義に関する理解を 深めるとともに,国民主権を担う公民として必要な基礎的教養を培う。 (中略)
2 内容 (中略)
(3) 私たちと政治
ア 人間の尊重と日本国憲法の基本的原則
    人間の尊重についての考え方を,基本的人権を中心に深めさせ,法の意義を理解させるとともに,民主的な社会生活を 営むためには,法に基づく政治が大切で あることを理解させ,我が国の政治が日本国憲法に基づいて行われていることの意義 について考えさせる。また,日本国憲法が基本的人権の尊重,国民主権及び 平和主義を基本的原則としていることについての 理解を深め,日本国及び日本国民統合の象徴としての天皇の地位と天皇の国事に関する行為について理解させる。 このように人権思想について学んだ直後である3年生の夏休みにマグナカルタを見られることはとても幸運なことである。 人権思想の原点である、この一枚のベラム(子牛皮紙)に美しく書かれたラテン語の文章を実際に見ることは社会科教育の 観点からも非常に有意義であろう。 ところで、なぜこの場所にマグナカルタが残っていたのかは正確にはわかっていない。1215年に書かれたマグナカルタの 原本(のコピー)は各地の貴族などに送られたため、そのうちの一つであることは確かであるが、どのような経緯で保管 されたのかは謎である。最初に書かれたマグナカルタのほとんどは失われてしまい、現在は英国内にわずかに4冊しか残っていない。 大英博物館の図書館などに保管されているが、どれも保存状態が悪く、文章全体が読み通せる美しい状態のものは ソールズベリー大聖堂に保存されている1冊のみである。歴史あるこの大聖堂を訪れることで、英国にとってどれほど宗教が 重要な要素であるか理解が進むのと同時に、マグナカルタという現代の世界の基礎となる一枚の文書を実際に見ることができるのである。 来年度はマグナカルタの合意から800年という記念の年にあたる。この地を訪れることで英国民の自国の歴史や文化に対する誇りを 感じることができるのではないだろうか。

(V)ソールズベリー

ソールズベリー大聖堂を囲むように広がるソールズベリーの街に出ると、歴史を感じる建物や路地の石畳、大きな広場など、 中世の英国の街がそのまま残っている、まるでテーマパークのような雰囲気を感じることができる。 この街は実は美術史の中でも有名である。なぜならば、当時の絵画では珍しかった風景画を数多く制作した19世紀の英国の画家、 ジョン・コンスタブルとウィリアム・ターナーの二人にソールズベリーの街は描かれていたためである。特に印象派の元祖とも 評されるコンスタブルは、宗教や歴史が題材となる絵画が評価されていた時代に英国の農村や田園風景を数多く描いた。 ソールズベリー大聖堂の司祭と交友関係があったこともあり、何度もソールズベリー大聖堂を描いたことで有名である。 またターナーはロマン主義的な写実的な表現を用いて、大聖堂の内部やチャプターハウスを描いた作品を残している。 こうした作品からは現在では展示物があるために見ることができなくなってしまっている大聖堂の様子を知ることができる。 ソールズベリー大聖堂のすぐそばにある、ソールズベリー&南ヨークシャー博物館にはターナーらの絵画も展示されており、 実際に現地で見ることも可能である。 さて、ソールズベリーの街は「ニュー・セーラム(New Sarum)」とも呼ばれている。実は現在の大聖堂が建てられる前までの ソールズベリーの中心地は、現在地から北に3kmほど離れた「オールド・セーラム(Old Sarum)」と呼ばれる小高い丘の上に あったことがわかっている。このオールド・セーラムからは旧石器代に人々が生活を営んでいたことを示す出土品が多く発掘されており、 大聖堂も11世紀にはこの地に建てられたことが知られている。しかし12世紀頃には狭いオールド・セーラムでの発展が限界を迎え、 広い平地のある現在のソールズベリーに町全体が移動し、大聖堂もそのときに新たに作りかえられたといわれている (旧大聖堂の一部は新たな大聖堂の建設に再利用されたり、そのまま移設されたりしたとも)。そして大聖堂の境内である 「クロース(Close)」を中心として、現在のソールズベリーの街へと発展していくのである。 中世の街並みがある地域は徒歩でも短い時間で十分に見尽くせるほどこぢんまりとまとまっており、景観を楽しみながら散策できる。 今年度は散策ののち、「レッドライオンホテル」のヴァイン・レストランにて英国伝統のクリームティーを味わった。 ここは英国屈指の歴史あるホテルであり、もともとソールズベリー大聖堂の設計者を宿泊させるために建てられたといわれている。 ホテルの外見からしてそうではあるが、実際にホテルの中に入るとアンティーク家具が置かれ、ヴィクトリア朝の装飾が施されており、 英国内でもなかなか目にかかれないような歴史ある雰囲気の中、クリームティーを味わうことができた。歴史の面影を残す街を歩き、 伝統的な建物の中で英国の紅茶をゆっくりと味わい、全身で英国の伝統的な文化を理解することができたのではないだろうか。

(W)コーフ城

英国南部のドーセット地方には海岸線に沿って陸地を二つに分けるように東西に横断している小高い丘陵がある。こうした丘陵は おそらく過去の地層が褶曲する(地層が曲がりくねってしまう現象)ことによって地上にその断面を露出し、硬い地層の部分だけ 浸食が遅いため丘となって残ったと考えられる。コーフ城はその丘陵線の途中で川の浸食により、離れ小島のように孤立して残った 丘の上に建てられている。その姿はまさに難攻不落の要塞、そして小高い丘の上にひときわ目立つように建てられた見晴らしの 良い砦である。しかし現在ではかつての姿を見ることはできない。破壊され、荒廃した城の基礎部分の石垣が残っているのみである。 田園風景と荒廃した中世ヨーロッパの城という景観は、日本では感じられない見事な調和を見せつけ、見る者に過去の雄大な姿を 想像させて歴史へのロマンをにわかに湧きあがらせるであろう。 コーフ城は、1086年に「征服王(the Conqueror)」と呼ばれるウィリアム1世によって建てられた由緒ある城である。ウィリアム1世は ノルマン人(フランスのゲルマン人)であったが、イングランドの征服(ノルマン征服)に成功した人物で、現在の王室までつながる ノルマン朝を開き、現在の英国の原点を築いたとも評される。ウィリアム1世以降でイングランドは外国軍によって征服されたことはなく、 のちの王家はみな全てウィリアム1世との血縁を持っている。ちなみに「英語」はノルマン朝の宮廷で使われたノルマンディー地方 なまりのあるフランス語が、イングランドの言葉と融合し生まれたものであるとされている。 さて、この城はウィリアム1世の力を世に示すために築かれ始め、王の居城として使われながらも、その立地条件から外敵から イングランドの地を守る要塞として発展していくことになる。最終的に完成したのは1285年のことであった。当初は小さかった城も どんどんと石で周囲を固められ、装飾の豪華な王の部屋なども備えた難攻不落の要塞へと形を変えていくことになる。ちなみに “Gloriette”と呼ばれる王の間を築いたのは13世紀初期のジョン王である。この王こそ、1215年にマグナカルタへの合意を迫られた 悪名高き王であり、豪華な建築をするなどその後貴族の怒りを買うことになる計画性のない王の財政感覚をここでも知ることができる。 ただしこの部屋は現在残っていない。逆に城の要所を固める門などは現在も残っており、その強固な建築を実際に目にすることができる。 城の外壁などには城外に向かって十字にあけられた隙間があり、そこから弓矢で外敵を打ちやすい工夫をしていることがよくわかる。 また城の最上部まで登ると周囲を一望でき、天候さえよければ海まで見える景色であり、英国の田園風景を360度堪能することができる。 そこから見える城下町もこぢんまりとした中世らしい石造りの町並みを残しており、時々城のすぐそばを通る蒸気機関車に 引っ張られた列車が英国の風情ある景色に彩を与えてくれる。 ところで、現在のコーフ城は自然に荒廃したというわけではない。城の一部は大きく崩れているが、これは英国の市民革命 (“the Civil War”)によるものである。コーフ城は、王の居城として500年近く役目を果たした後、1572年に大英帝国の礎を 築いたエリザベス1世によって彼女の友人である貴族に払い下げられた。その後この城は王党派の貴族の手にわたり、 英国の内戦時に拠点として(主に弾薬などの貯蔵といわれる)利用されていた。この王党派は王による国の支配に賛成していたが、 これに反発する議会派の軍隊はこの城を二度にわたって襲撃し、要塞の基礎部分に穴を掘って火薬を仕掛けて爆破した。 そのためこの城は攻略され、1646年に破壊されてしまったのである。ちなみにこの内戦の後、英国では最終的に近代に始まり現代まで続く 民主主義思想の原点となる英国の議会制民主主義が成立していった。この城は誕生した時もそうであるが、英国の歴史的な転換点に 縁があるという点が非常に興味深いところである。
(X)スワネージ

 前述のコーフ城から後述のジュラシック・コーストに至るルートの中継地点として利用しているのが、スワネージである。 ここでは多くの時間を費やすことはできないが、海水浴を楽しめるリゾート地である、この街の浜辺にある公園で弁当を 食べながら陽気な英国の観光地を楽しむことができる。横に広い入り江であるためにとても見晴らしがよく、滞在時間が 長ければビーチの様子も見ることができるだろう。残念ながら昨年度と今年度のプランではこの街で過ごす時間が短いため、 あまり散策などをする時間はない。  さてこの街からは“SL”(蒸気機関車)に乗って移動する。“Swanage railway”は1972年に廃線となった英国の国鉄の 区間を地元のボランティアが中心となって復活させた鉄道である。初めはほんの少ししか走れなかった区間も、自治体や 企業の支援を受けて延長し、現在では5駅約10qを結んでいる。この鉄道が開通したことで、大型バスでは 不便なスワネージやコーフ城を結び、観光客の利用と渋滞緩和という2つの効果をもたらしている。ボランティアの活動と 寄付によって復活した列車に乗れば、まさにそこは「機関車トーマス」の世界である。ワットが蒸気機関を発明し、 産業革命の時代に生まれた英国の汽車に揺られながら見る沿線の田園風景や途中で見えるコーフ城は格別である。 鉄道の原点である英国の汽車に乗ることで、英国の歴史の偉大さを肌で感じることができるのである。
(Y)ダードルドア〜ラルワース・コーブ

 スワネージから汽車とバスを乗り継いで向かうのが、「ジュラシック・コースト(Jurassic coast)」と呼ばれる海沿いの地域である。 この東西200qにわたる海岸線は2001年にユネスコの世界遺産に登録され、自然遺産としては英国内で2番目に認定された地域である (イングランドでは唯一の自然遺産)。ジュラシック・コーストというのは通称であり、正式な登録名は「ドーセットと 東デボンの海岸(Dorset and East Devon coast)」である。最大の特徴はその景観である。この地域の海岸線は白いチョーク(chalk)の 地層でできており、白色の断崖絶壁が海沿いに連なっている。それだけでも十分に美しいのであるが、さらに海底にまで この白亜の地層が広がっているため、日光が当たると海底で太陽光が反射して海が美しくエメラルドグリーンに輝くのである。 日本では決して見ることのできないこの景色には一見の価値がある。 さらにこの地域は自然科学の観点からも非常に価値のある場所でもある。この海岸線はコーフ城周辺の丘陵地と同じように 過去の地層の断面が地表に露出してできた場所であり、その結果過去の遺物や様々な地形を発見することができるのである。 この地域の地層は、地質年代でいう「三畳紀(Triassic period)」、「ジュラ紀(Jurassic period)」、 「白亜紀(Cretaceous period)」と呼ばれる時代の地層がほとんどを占めている。およそ2億5000万年前から6000万年前ごろまでの 地層が見られるのである。この時代というのはまさに地球上を恐竜が支配していたと考えられている時代である。 またこの地に現在ある地層は長年の地殻変動によって運ばれてきた赤道直下の熱帯地域の海底であると考えられるため、 アンモナイトや海底生物、そして海に生息したといわれる恐竜の化石が豊富に採れる非常に有名な産地なのである。 ところで、このことは中世の頃から有名であったといわれているが、この地の価値を英国内、そして自然科学界に知らしめること になったのはメアリー・アニングという19世紀の一人の女性の懸命な働きによる。彼女は幼少期に父親を亡くし、 貧しい家庭で育っていたため、近所の海岸で取れる化石を売って家計を助けていた。英国では18世紀ごろから自然科学が 宗教から離れ始めたことによって非常に発展していたため、科学者たちのなかではこの海岸の化石に注目が集まっていたが、 魚竜と呼ばれる種類の生物の全身の化石をまだ当時12歳だったメアリーが発見したことで、発掘調査が加速していくことになる。 その後スポンサーを得たメアリーは化石の収集をつづけ、彼女の採取した大量の化石は科学者たちに過去に地球上で生物の大量絶滅が 起こっていたことを気づかせることになった。高等教育など一切受けていない彼女が科学者たちに与えた衝撃は非常に大きく、 英国での古生物学の研究は大きく進歩した。こうした研究の成果はその後発表されるチャールズ・ダーウィンの「進化論」の材料の一つと なったともいえるだろう。彼女の地道な活動の自然科学への貢献は計り知れない。現在でもこの海岸では多くの化石が発掘されており、 実際に拾うこともできるが、海岸浸食が激しいため立ち入り禁止の海岸線も多い。またラルワースでは化石を比較的安価で 購入することもできる。 化石以外にもこの海岸では貴重なものを目にすることができる。それは地理学的に貴重な地形である。この海岸の地質は石灰で できたチョークや白亜の地層を基礎としているが、中には非常に脆い部分もあり、波によって海岸浸食が強く起こる。 例えばダードル・ドアと呼ばれる名所は、海に突き出た岬の硬い石灰の層が長い時間をかけて浸食され、石灰の部分が 薄くなった部分の浸食が一気に進んだ結果、岬の下部の一部分だけが削り取られて空洞となってできた「天然橋(natural arch)」 と呼ばれる地形である。またラルワース・コーブも同様にして海岸の一番海側にある硬い石灰の層が浸食に耐え、 その陸側(内側)の柔らかい粘土層だけが波と川によって大きく浸食されて、「Ω」型の綺麗な湾が形成されている。 これらの地形は景観としても非常に美しく、エメラルドグリーンの海とのコントラストはまさに絶景といえるだろう。 ただ景色が美しいだけではなく、地理学的にも古生物学的にも貴重であり、世界遺産として世界に認められているこの地を 訪れて記憶に残らない者はいないであろう。

(Z)ウィンザー城

 英国の玄関口であるヒースロー空港のすぐそばに、英連邦統一のシンボルでもある英王室の、居城の一つであるウィンザー城がある。 英王室の美術コレクションなどの管理や一般公開の運営を行っているロイヤル・コレクション・トラストは、 ウィンザー城を以下のように紹介している。 エリザベス女王の公邸の一つであるウィンザー城は、現在も使われている居城として最も古く、世界最大級のものです。 重厚な雰囲気をたたえるウィンザー城には、900年にわたる英国王室の歴史が凝縮されています。10.5ヘクタール(26エーカー) に及ぶ敷地内には、王宮の他に壮麗な礼拝堂もあるほか、多くの人々が従事する各種の作業場や住居なども含まれています。 華麗な公式諸間(ステート・アパートメント)は、レンブラント、ルーベンス、カナレット、ゲインズボロらの作品を始めとする 王室コレクションからの珠玉の名画で飾られ、サー・アントニー・ヴァン・ダイク作の有名な三方から描いたチャールズ一世の 肖像画もその中に含まれています。(後略) そもそもウィンザー城は、ウィリアム1世がイングランドを1066年に制し、そのときにこの地に要塞を築いたことが始まりといわれている。 それ以来この城は増築と改修を繰り返し、ゴシック建築の傑作とも評される宮殿として現在に至るのである。城内はほとんどの箇所を 自由に歩いて見ることができる他、上記のステート・アパートメントに入ることができる。厳めしい堅牢な石造りの外見とは裏腹に、 内部の装飾は言葉で形容することができないほど繊細でかつ豪華に飾られており見る者を圧倒する。柱や壁、扉など、全ての内装に 余すところなく手の込んだ細工が施されており、英王室の持つ歴史と権力の巨大さがひしひしと伝わってくるのである。また家具の 一つ一つにも素晴らしく芸術的な装飾品がつけられており、世界各地の調度品が集められていることがわかる。 それだけでなく、部屋ごとに展示されている豪華絢爛な王室コレクションの数々には、文字通り言葉を失ってしまうであろう 。食器に始まり、天井まで埋め尽くされた剣や鎧、銃などの装飾つきの武器、巨大なホールの壁面を埋め尽くす歴代王室の肖像画、 寝室に飾られた著名な画家たちの絵画、そして煌びやかな宝石など、他では目にすることができないであろう貴重なコレクションを ゆっくりと見て回ることができる。この他にもクイーン・メアリー人形館では、ドールハウスコレクションが展示されている。 このドールハウスはジョージ5世が王妃メアリーのために作らせたもので、水道が稼働するほど細部まで精巧に、そしてもちろん豪華な 装飾つきで作られている。こうしたコレクションは本来であれば王室で実際に使うものであるが、展示しているのはあまりにこうした 調度品が多く余ってしまっているためだそうで、かつて世界を支配するまでの力を持っていた英王室の底知れないパワーにただただ 圧倒されてしまうのである。 ちなみにステート・アパートメントのツアー終盤にあるセントジョージズホールには、盾形のプレートが壁や天井にびっしりと飾ってあり、 菊の御紋のついたものもある。このプレートはイングランドの最高勲章であるガーター勲章を受けた者の紋章である。 日本はヨーロッパの国でもなくキリスト教国でもないが特例として、明治以降、日本の天皇がこの勲章を受け続けている。 このウィンザー城には日英の強いつながりを感じられる場所もあるのである。  なお、城の中央にある大きな塔には普段英国の国旗であるユニオン・フラッグが掲げられているが、女王が滞在している場合には 女王旗が掲げられているそうである。女王は毎年この城の近隣にあるアスコット競馬場でロイヤルアスコットを開催し (Royal Ascot Race Meeting)、この城から馬車で競馬場に直接向かうのである。このときに城から直線で約5q続く 「ロングウォーク」を通っていくが、この道も普段は観光客でも歩くことができる。ちなみに今年度の夏期英国研修では、 ウィンザー城を眺めながらこの道の芝生で昼食をとることができた。さらに2日ごとに行われている衛兵の交代式も見るチャンスがある。 城内には衛兵が立って記念撮影のスポットになっている場所もあるが、赤い服をまとった衛兵たちが楽器を鳴らしながら 行進していく様子を見ることができれば、たっぷりと英国を味わえたと満足できるであろう。英国の常に中心にあった王室の 伝統を直接見られることで、英国という国家の文化や力強さを肌で感じることができるのではないだろうか。

このように(T)〜(Z)では今年度の夏期英国研修で訪れた名所・名跡について、その場所の歴史やその価値についてまとめる ことができた。その他にも海岸の街ボーンマスやジュラシック・コーストの中にある半島であるポートランドなど、過去の研修では 訪れている土地もあるが、現在では行程上の都合や散策する時間をしっかりと設けるためにこの7カ所に絞られている。 またこうした名所・名跡を訪れなくとも、硬水であることや石造りの古そうな民家が多いこと、日没が遅いこと、にわか雨が多いこと、 はたまた平地が多く(山が見当たらないため)360度景色を楽しむことができるといったことも、日本との違いとして生徒たちが 感じ取っていることである。そうした違いを知る(できればなぜ英国ではそうであるのかまで理解する)ことで、他国の風土・文化を 感じる感性やそれを受容できる豊かさがこの研修を通して磨かれていくこともここで指摘しておきたい。ここからは生徒たちの日誌を 引用して遠足でどのようなことを感じていたのかまとめていきたい。

4.今年度の遠足の様子
 ここでは生徒たちが遠足でどのようなことを感じたのか、日誌の一部を引用して行き先別にまとめていきたい。
(T)ストーンヘンジ

 ストーンヘンジでは、ほとんどの生徒が「なぜ」・「どうやって」このような遺跡が作られたのかという率直な疑問が日誌に感想が 書かれていた。現地ではビジターセンターから移籍に向かうためのバスが非常に混雑していたことや強いにわか雨が降ったこともあり、 ゆっくりと時間が取れなかったが、サーセン石を運んだと考えられる木製のソリの実物大模型や日本でいう竪穴式住居の復元施設などもあり、 一部の生徒は遺跡よりもそこで時間を費やしたようである。ほとんどの生徒が、日本にはない巨大な古代遺跡に「神秘」性を感じたことであろう。 ストーンヘンジにつくと博物館のような場所があり、辞書で調べながら見学して楽しかった。かやぶきのような屋根のところで 係のおじさんがとても丁寧に説明してくれた(男子)
ストーンヘンジはとても大きくて、本当にどうしてあんな大きな石が上に乗っているのか全くわからないし、どうやってもムリだ としか思えなくて、とても神秘的でした。また、柵があってはなれてしかみれなかったので、もっと近くでみたり、さわったり したかったです。(女子)
(U)ソールズベリー大聖堂
 ソールズベリー大聖堂では、その装飾、特にステンドグラスと墓石の装飾が印象に残ったものが多いようである。 またチャプターハウスではマグナカルタや旧約聖書の彫刻について現地生から色々と解説をしてもらったようで、 史跡を見学することでもコミュニケーションが進み、より互いの文化を理解しあえたのではないかと思う。そのためにも、 遠足の際には現地生とミックスさせたグループを作っておくことが必要であろう。
次にソールズベリー大聖堂に行った。大聖堂はステンドグラスがとてもきれいで、重厚な雰囲気だった。私はあまり教会などに 行かないので、良い機会になったと思う。(女子)
ソールズベリー大聖堂は天井がとても高く、壁にあるガラス窓みたいなものがとても色鮮やかできれいでした。また、 ここでもサムが色々教えてくれてすごいと思いました。(男子)
ソールズベリー大聖堂では床が人の墓になっていた。その上を普通に踏んでいるイギリス人の人達は日本人と感覚が違うなあと 思った。(男子)
マグナカルタは全て手書きだそうで、かなりきれいでびっくりした。イギリス人のラジャンがいろいろ説明してくれたので いろいろ学べた。(男子)
見学では色んな所にいったが一番印象に残ったのはマグナカルタでした。マグナカルタはラテン語で書いており、班の人は誰も 読めませんでした。しかしその周りにあった旧約聖書の絵がとても興味深くて勉強になりました。(男子)
(V)ソールズベリー
 大聖堂の見学の後はソールズベリーの街に出てグループでの散策であったが、「歴史ある街並み」を見ながら、お土産の買い物を 現地生とともにした者が多かったようである。買い物時に英語を使ってやり取りしたことが印象に残っていると日誌に書いてある 生徒もいた。またRed Lion Hotelで英国伝統の“Cream tea”を味わったことは生徒たちにとってよい思い出となっており、 作法を同じグループの現地生から習って、しっかりと英国の文化を吸収していたようである。
(ソールズベリーでは)歴史ある街並みを見ることができて良かった。(男子)
ソールズベリー散策ではとてもオシャレな商店街で、私の家のある地域ではこんなきれいな商店街はないので、こういうところで 買い物ができてとても嬉しかったです。Afternoon teaでは初めてのスコーンだったので同じ班のJennyやModupeに教えてもらいました。(女子)
ソールズベリーの町は、英国研修の中で一番人がたくさんいて、少し緊張しました。また、日本の100円ショップと同じような 1£ショップがあり、缶3本で1£はとても安いと思いました。アフタヌーンティーでも、サムに作法を教えてもらって食べ、 とてもおいしかったです。(男子)
(W)コーフ城
 コーフ城でも、グループにわかれて見学を行った。荒廃した野ざらしの城であるためか、日本のお城のように城の各所に解説が 書かれていないこともあり、どちらかといえば景色を楽しんだというような感想が多かった。とはいえ見晴らしのよさだけでなく、 城壁に開いた弓矢を放つ十字の穴や内戦時に破壊された部分について強く印象が残っている者も多く、城の役目や歴史を感じることが できていたのではないだろうか。
コーフ城は日本の城とは違い矢を放つ穴がキリストの十字架の形をしていて驚いた。コーフ城から地平線が見えて、本当に山のない国だと 実感した。(男子)
コーフ城の下に広がる城下町は中世の街並みをそのまま残したようでとても美しかったです。又、コーフ城はとても古くて大砲があった 跡があったり壁がたおれてきそうなのもあり、歴史を感じられました。(女子)
コーフカッスルを訪れて思ったことは、この城が昔はとても大きかったことである。城に十字の穴があって、 そこから弓を放っていたことが分かった。(男子)
(X)スワネージ
 スワネージの街ではあまり時間が取れなかったため、海岸の公園で現地生と過ごしたものが多かったようだが、 ソールズベリーでは気がつかなかった日本と英国の「信号」の違いについて日誌に書いた生徒もいた。街を自由に 散策する時間があることでこうした発見が得られるというのは、これもまた異国の文化を知る上で重要なのではないだろうか。 またSwanage railwayで乗ったSLは今の生徒たちにとっては「ハリーポッター」の世界を連想させたようである。こうした体験も 「英国らしさ」を感じるものであったのだろう。
スワネージでは、イギリスの町の習慣を知りました。一番そこで驚いたのは、信号です。イギリスでは自動で信号は変化せず、 歩行者は、道を渡りたい時にボタンを押して青になってから渡るのです。僕は、イギリスの方式は効率的ですが、日本の方式の方が 楽でいいかなと思いました。(男子)
ハリーポッターの汽車を連想させるようなもくもくした白い煙の出る汽車に乗りました。(女子)
スワネージ散策ではイギリスの街並みの特徴を学ぶことができた。途中に乗ったSLは煙や汽笛がちゃんとしてい 普段日本で聞いている電車の発車音とは違ってかっこよかった。(男子)
(Y)ダードルドア〜ラルワース・コーブ
 もう一度行きたい場所という感想が多かったのは、世界遺産のジュラシック・コーストであった。日本では絶対に 見られない白い崖とエメラルドグリーンの海の組み合わせは、生徒たちに最も強い印象を残したようである。 ストーンヘンジと同じように、世界遺産であることを疑いなく受け入れることができたであろう。またそうした感動は一緒にいた 現地生とも分かち合えたはずであり、そのような感情の共有ができたこともよい経験である。
ラルワース・コーブの散策は今までの観光の中で最も印象に残っている。海の水も透き通っていた。また、がけと海岸の石が白く、 海がこい青色だったのでとてもきれいだった。今度もしイギリスにくることがあったら絶対きたい場所だ。(男子)
ラルワース・コーブでは、そのきれいな景色にほんとうに驚きました。もし次にイギリスにくるなら絶対ここに行きたいと思います。(男子)
今日一番印象に残ったのはラルワース・コーブ散策だった。だんがいぜっぺきの下に広がる海は光の反射でエメラルドグリーンに 輝いていてきれいだった。(男子)
(Z)ウィンザー城
 ウィンザーではまず衛兵の交代式を見ることができたので、そのことについて「かっこよかった」といった感想が多く見られた。 衛兵のそばで記念撮影をした者も多かったようだ。城内では音声ガイドをレンタルしてゆっくりと時間をかけて展示を見られたため、 研修中のどの施設よりも詳しくみることができたようである。それもあってか、終始英王室の権威に圧倒された様子であった。 英国のシンボルである王室の力強さを肌で感じることができたのではないだろうか。
Windsor castleでは音声ガイドを借りて、王室の様々な部屋を見学しました。とにかく圧倒されました。様々なお皿、陶器、絵、寝具など、 すべて手作業で細かくてすごかったです。敷地が広く、さすが王室だなと思いました。(女子)
自分が一番気に入った部屋は小さい盾が壁や天井そこらじゅうにはりつけられている大きな部屋で、色んな柄の盾を見つけるのが楽しかった。(男子)
ウィンザー城見学では英国兵や大砲など様々なものがあったがその中でも最も印象に残ったのは巨大な展示室でした。展示室には 何万円もするお皿などが置いてあったがこれらはすべて余りものであり、使っていないということに驚きました。(男子)
城内はまずとても広かったです。高価な皿や武器がある大部屋、王族の公務室、寝室、150人以上座れる来客用ダイニングなど 回るのにとても疲れました。壁や天井がとてもきれいでした。シャンデリアや天窓、盾や絵が全ての部屋で凝っていました。 一番驚いたのは、来客時の皿やイスをものさしで測って並べているということです。ずれはとても目立ちますが全てが ぴったりそろっていると、とても美しいそうです。(男子)
ウィンザーに到着するとすぐに兵隊さんのパレードをやっていた。とてもキビキビとした動きでかっこよかった。ウィンザー城の中は 色々なコレクションや王様、女王様の肖像画がたくさんあってビックリした。お皿なんかはとてもきれいなものが何百枚とかざられていた。 ウィンザー城にはエリザベス女王も住んでいる時もあると聞いて、同じ場所にいれるのはすごいと思った。(女子)
 このように多くの生徒が日誌の中で訪れた各地の感想を述べている。生徒たちが印象に残っている点というのもそれぞれの名所の 重要なポイントである。遠足で各地を訪れることで、研修施設の中だけではなかなか触れることのできない英国の文化や歴史を感じ、 その景観を目に焼き付けることができたのである。


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